誰か、誰か俺の味方がいないか。なんで俺一人だけがこんな目に遭わなくちゃならねえんだ。なぜ退屈で誰も気にしない人生を送らなくちゃならんのだ。なんでだよ。誰か答えておくれよ。
という夜の叫びでございます。
たぶんそういう形でしか人と繋がれないから、そんな向きになったのだろう。とにかくかっこつけたくて、周りの人に認められたくて、そして自分一人じゃどうしようもなくて、やがて絶望した。
ねえ、みんな、ひとつ聞きたいですけど、みんなは誰かに馬鹿にされたことがなかったのだろうか。俺だけなのだろうか。もしあったとしたら、それでも人と出会う勇気はいったいどこから出てきたのだろうか。俺にはもうないんだ、正直。話しかける前に相手の反応を予測できるもの。
ああ、あいつ絶対俺を無視するのだろう。ああ、あいつきっと俺を馬鹿にしているのだろう。ああ、こんな意味のないことはもうやめよう。この世界は広いけれども、誰もお前なんかと関わりたくないんだよ。
こういう面からすると、みんな案外平等なものだ。たとえかおのいいやつでも、誰かに急に声かけたら、きっと可笑しく思われるものだろう。
これが人間だ。結果がどうだろうが、声をかける方は必ず恥をかくのだ。つまり誰かが先に寂しいと思ったら、誰かが負けるということだ。
だったらさ、死んじまえばいいじゃん、みんな死んじまえ。そしたら、誰も平等に寂しさも苦しみもない生活で生きることができるじゃないか。はは。
ていうか、もう寝よう。
我发现小我就是喜欢趁我身体虚弱的时候叫,
“你必须知道这个。”
“你搞不明白这个你就不配当人。”
“你连这都不懂的话你就是个废物。”
“你到不到我的要求你就没有资格瞧不起别人,你和他们一样愚蠢,一样不值一提。”
“你应当是一个完人,你不应当有缺点、短处、失误、弱点,你应该什么都做得到什么都懂,能踩在所有人的头上。
不这样你就不配得到爱,不配得到你想要的东西。”
“你必须比所有人都优越。”
“你必须给所有人做示范当榜样,你必须是最吊的那个。”
“你必须时刻要求自己是最标准最优秀最值得被夸奖的孩子。”
“否则你就不会被爱,不配被爱,也不会爱自己。”
我去你妈的,你就是个几把。
你叫你妈呢叫叫叫,一个住在老子脑子里面靠吸老子血长大的玩意儿也配教我做事了。
你尽管叫,老子就看着你叫,你就是个几把。
不务实只务虚的狗东西。
老子现在就很好,不需要你个几把给我画饼,谁信你啊。
听你的我他妈早跳了,你要死你自己去死。
认同你?
你是他妈我见过最蠢的坏东西,天天盼着老子死,我操你妈。
老子现在就是完全体了,你说的都是屁话。
我一直是完全体,不缺任何东西,你缺爱那是你的事情,你死了没有任何人关心。
ぶっちゃけいうと、女の人だけじゃない、俺は人間が嫌いだ。人間というわけのわからない生き物が嫌いなんだ。
先生はどうやらわからない模様だが、無理もない。
毎回先生が「みなさん元気ですか」と聞いている時、俺はいつも内心で「死にそうです」と答えました。
ほぼ理解できなかったな、よく考えれば、いや、よく考えなくても何も、ろくに定番に演出しなかったのだろうな。「how are you,fine thank you」レベルの定番も演出できなかった。
最初はこんなくだらないやり取りなんておほくさいな、俺やらないぞと思ったのだろうか。知らず知らずのうちにほんとに理解できなくなってきた。何言ってんだろこいつというふうに自分の理解不十分をなんとかごまかしていた。
流石にもう正気の無沙汰ではないだろうか、なんか最近誰も俺の顔を見たら、怖がっているように見せやがって不思議だった。いったいふぉこの何がそんなに怖いのだろうか。俺には到底理解できなかった。
ははっ、なんというばかばかしい授業であろう。難しい言葉で異国の言語を解明するなんてより愚かな行為はないということを、いまこの瞬間気づきました。
解釈権のない人間がやたらと同じく解釈権のない人間に解釈しようとしているところが、どうも滑稽に見える。
そろそろ目も開けないのだろうか、痛くなって目蓋も重くなってきた。深色モードに変えてすこし目の負担が減少したようだ。しかし、心の負担や一晩一ミリも寝れなかった心臓の負担はどうやったら解消できるのだろうか。
どおりで俺は自分の考えばかり書いていた。目も開けられないじゃないか、観察さえできないじゃないか。まあ、実は頑張ったらすこしの観察はできるよ。先生は今日もその顔でやってきた、その昔の嫌いな人とそっくりの顔でやってきたのだ。さぞ同郷なんおだろうか、口のデカさはどれも猿みたいに横に長かった。そしてその日本人並みの相槌の打ち方と作り笑顔は傑作だった。地方の定例としてやせ日本人の真似でもしていたのだろうか。
飽き性の自分はいずれもこの鬱憤のゴミを産出する行為に飽きるのだろう。だとしたら、その時が来る時に、俺はどうするだろうか。この世に最後の関心ごとも失ったあと、「しょうもねえ、首を吊ろっか!」になるのだろうか。
本物の絶望は「誰か助けてくれないか」ということを待つのがつらいのではなく、「とっくに知ってたよ、誰も俺を救えないとこを、もううんざりだよ。」ということだ。
そしてなによりもムカつくのはわからない分ざいで、無神経に自分に寄ってくるやつ。
認めてるわけじゃないよ、両足が囚われてタイプしかできないだけだ。
からだが寒い。気温の低さもあるけど、やはり不眠も大きい。まるで凍りつけたかのように、足がやたらと重い。
頭のいい人でさえ女に弄ばれていて、俺みたいなバカはよした方がいいよ。
老子一晚上没睡都把这个早八上了,在我看来那些身体健康却无所事事的人就是废物。
想知道为什么人都不愿交往了吗,因为人的脑子就是你妈的一团浆糊啊,就是化粪池啊,我邀请你来吃我的屎,你邀请我来吃你的屎。有异食癖的人才会这么做。
ネットで先日「花園シャトー」というマンションは実在するかどうかが気になって調べたら、「花園シャトー107号室」という個人サイトが出てきました。簡素で真っ白なサイトでした。その文章、その日記を読むと、懐かしいような感じがしました。それは、ミズヤグチ、あるいは瀬戸口とにたような文体でした。
音楽を流しながら、私はこのサイトを見ていて、ふっと気づきました。なぜ自分はそこまでそういう文章に惹かれることがわかりました。それは、体が弱るほど、書いた文章が冷静で精確であるからです。そこが不思議です。
例えば一晩眠れなかったとしたら、人は体が持たなくて鬱やイラつきなどさまざまな負の感情がわいてきます。そこで行動がしにくいから、じゃあ日記に鬱憤を晴らそうじゃないかと、私のように文どころか、サイトが単なる文句のゴミ場になります。そりゃむきになってもしかたがないだろうが、人はやぱり冷静でなくなって場合によっては正気を失うこともあります。にもかかわらず、この日記書きたちはやたらと冷静に周りだけではなく、自分をよく観察して論理的かつおもしろい文章にすることができます。生活はネタの探し場だと、彼は言っていました。見る人の有無に関係なく、彼らは自分のサイトをちゃんと重宝していて、大事にしています。からだがどうであろうか、精神的な部分だけを譲らないというこだわりが勝手に見えるであろうかと思います。
瀬戸口さんはほんとにネットのことを言い尽くしました。なぜかというと、「ドキュメンタリズムこそネットの面白いところじゃないか」という彼の話をまた思い出し、いかにも正確な見解だと思われました。
ドキュメンタリズム、あるいはテキストサイトというものを知った後、私は虚構なものにいっさい興味が消えました。少なくとも加工した虚構作品いがいにね。完全なる虚構は大勢で、ドキュメンタリズム的な作品は少数とは言わないが、現存するドキュメンタリズム的な作品は全部おじさんやおばさんの話です。自分と年齢層や時代さえ違う人の生活を読んでどうするものかでしょうか。ただでさえめんどうなエンタメがさらにくだらなくなってどんな意味があるでしょうか。
字数は制限したほうがいい、なぜかというと、書くには体力が要る。伝えたいものがないか、それとも伝える能力に欠けるか、もうだんだんわからなくなにました。
とりあえず、ましな文章を書くにはいい状態もひつようである。しかし、いい状態の人間がやはり時間をわけのわからない文章を書けるに費やすべきではないと思う。その状態をちゃんと堪能して、人と付き合うとか、勉強をするとか、本を読むとか、運動をするとかのほうが遥かに健全じゃないか。
書く書くうちに、またゴミを作りました。とりあえず、要するのことをこれからいいます。
ああいういい文章を書けるように、これからも頑張ります。